Q:人間関係を扱うことについて、あるいは、人に対して安心の拠り所を置くことについて、悟っていない人は、どのように立ち向かっていかなくてはならないのでしょうか?

 人間関係の中で、うまく安心感を保つのにどのようにしたらいいのでしょうか?

 

バガヴァン:みなさんが知っているように、私たちには二種類のやり方があります。

 ひとつは悟った人のためのもの、もうひとつは悟っていない人のためのものです。

悟った人には、教えは必要ありません。なぜなら意識状態が自動的に彼らを導きます。

悟っていない人には、私たちは、 「自分自身でいてください。」

「どんな自分であろうと、そのままでいてください。」 と言っています。

 

例えば嫉妬についてです。

私は何度も何度もこのことを繰り返しお話しています。

なぜならこれは最もよくある一般的なことだからです。

今もし、みなさんが悟っていないなら、「自分」があります。

「自分」があれば、比較があります。

なぜなら、比較することは「自分」が生き残る手段だからです。

そして比較のあるところから、嫉妬が始まります。

 

さて、問題が始まるのは、「嫉妬してはいけない。」とみなさんが思ったときです。

つまり、みなさんは「嫉妬のない状態にならなければならない。」などと、いつも目の前に目標や理想を掲げます。

これこそが問題の始まりなのです。

嫉妬から嫉妬のない状態へは映ることはできません。

嫉妬の何が問題でしょうか。

自分があれば、嫉妬があって当然です。

これが唯一の真実です。

今、皆さんが嫉妬から逃れようとせず、嫉妬を非難せず、自然にあるものだと受け入れるなら、不思議なことが始まります。

つまり、戦いが終わる時、喜びが始まるのです。

ですがその喜びは、悟った人の喜びとは違うものです。

まったく違う喜びです。

この二つを比較しないでください。

ここでいう喜びとは、悟った人の喜びとは異なる種類の喜びです。

ですが、悟りまで行かなかったとしても、ある程度心の開花があり、人生はとても素晴らしいものになります。

つまり、単に自分自身のままでいる状態です。

 

ここでは、深淵で偉大で根本的なものを意味して話しているわけではありません。

「自分のままでいてください。」と私たちは言っていますが、そのような深淵な意味はありません。

そうです。

皆さんは怒りがあることが自然なのです。

嫉妬があって自然なのです。

暴力的であって自然なのです。

それが生(なま)の自分なのです。

みなさんはそれを変えられません。

それがハプニングとなって皆さんに生じなければなりません。

変わろうとするどんな努力も、問題を複雑にし、さまざまなトラブルの原因になります。

みなさんはそこで真実を見落とします。

ですから、変わろうと努力するのではなく、むしろ嫉妬や心配、恐れを抱きしめ、恋してみて下さい。

そうしたら、何が起こるかを見てください。

やってみて下さい。

何がどうやって起こるかなど考えずに、とにかくやってみて、見て下さい。

なにか驚くべきことが起こるでしょう。

それは悟りにまでは導かないかもしれませんが、それでも確実に、皆さんをとても素晴らしい状態へと導きます。

ですから同じように、皆さんは、自分が安心感を必要としているという事実も受け止めなければなりません。

皆さんは、父母、兄弟、妻、夫、恋人、自分の知識や富や権力などから安心感を得なければなりません。

どんなものでも構いません。

ここで私たちが、この手法の中で提案したい大切なことは、皆さんが安心感を得ていく中で、安心の拠り所をうまく配分するべきだということです。

ひとつのバスケットに卵を全部入れてはいけません。

父や母、恋人、誰でも構いません。

あるいは学歴でも美貌でも、なんでも構いません。安心の拠り所をいくつかに配分すべきなのです。

これは安心感というものに対して、上手な取り組み方です。

もし皆さんが悟っていないなら、安心感が必要なのです。

皆さんは、隙だらけになるべきではないのです。

逆に自己をなくした人は隙だらけです。

なぜなら、その人にとって保護するもの、守るものは何もないからです。

つまり、自己・自分がないからです。

 

逆に、もし皆さんにまだ自己があるなら、抜け目なく、現実的に自分自身を守らなければなりません。

自分の安心感を創り出さなければなりません。

そして、ベストな方法は、安心感の拠り所を配分することです。

卵をいくつかのバスケットに配分します。

これがみなさんのすべきことです。

そしてもし、そこに関わっている相手が、あまりに移り気な人なら、少し注意すべきです。

もし彼が浮気心を見せ始またら、皆さんの側でこの人間関係を終わらせる覚悟をしなければなりません。

そして他の誰かに乗り換え、しがみつくべきです。

これをうまく実践すべきなのです。

 

ですから、悟っていない人、悩んでいる人がやって来たとき、私たちの対応は全く違うのです。

そういった人たちに、ここでプロセスを受けてくださいとは言いません。

私たちはただ話をし、安心の拠り所を再配分するだけです。

そうすればその人はとても幸せになって帰っていきます。

 

これは二つのレベルで働きます。

若者に話す場合、自己が解放されること、隙だらけになること、愛を発見することなど、そういった内容には言及しません。

そんな話はしません。

私がななすのは、シンプルは愛の話です。

つまり、恋することを話し、私たちはそのお手伝いをします。

 

もう一方で、悟りたいと思っている人たちには、彼らの愛を高めていきます。

これら二つは別々のものです。愛といっても異なるものです。

ですから、若者向けコースの場合、私の祝福は、皆さんが恋するのを助けます。

今日、人々は恋することさえ難しそうに見えます。

だからこそ、私たちはそれを助けているのです。

なぜなら、それは皆さんが必要としているものだからです。 

 

そしてもし、皆さんが本当に恋に落ちるなら、本当に嫉妬するなら、本当に欲深くなるなら、どうなるでしょうか。

私からはっきりお伝えしましょう。

そういった人こそ、遅かれ早かれ悟りに至ります。

逆にもし皆さんが、

「いえいえ、私は嫉妬はしません」

「自己中にはなりません」

「私はとても素晴らしい人間です」

などと、ゲームを続けていく限り、つまり、悟っていないのに悟った人のように振舞っている限り、哀れな人間です。

あらゆる生き地獄を味わい、惨めな人生になるでしょう。

それとは逆に、

「私は悟りを得ていません。これが私の性格です」

「これが私です」

というスタンスを取ってみてください。

それの何が悪いのでしょうか。

そのまま生きてください。

そのときこそ、皆さんはたくさんの幸せを発見するでしょう。

 

私は高い幸福状態について言及しているわけではありません。

そこまでいかなくても、たくさんの幸せがあります。

ある種の愛と喜びがあります。

こういったすべてのものが皆さんに訪れます。

このようにして生きるべきなのです。

これこそが悟りのベストの準備方法なのです。

 

私たちのもとにはよく、世間的に不健康だとか堕落していると呼ばれる人たちがやってきます。

私たちが「プロセスに参加しませんか?」と訊ねると、彼らから「何か楽しいものがあるのかどうか教えて下さい」などと問いかけられます。

それで、私たちは彼らに問い返します。

「言い換えるとそれはどんな意味ですか?」と。

完全に堕落した彼らはこう訊ねます。

「なにか不便なことはないですか?」と。

さらに「何日間、禁煙を守らなければならないのか?」「何日間禁酒を守らなければならないのか?」

「その間に飲酒はできるのか?」などと。

そんな風に一見彼らは実にひどい人々に見えるでしょう。

しかし、私から言わせてもらえば、彼らはとても早く悟れます。

なぜなら彼らはとても素直だからです。

彼らはまさにありのままです。

彼らは努力なしに悟れます。

みなさんはきっと、それを見て唖然とするでしょう。

 

その逆で、前行を実践し、美徳を養おうとしている独善的な人たちはどうでしょうか。

善行や徳というものは、自然にそこにあるべきです。

もし皆さんが美徳を養っている限り、それは悪徳だと私は思います。

みなさんが知ってとおり、美徳を養うことは実にひどいものです。

なぜなら、皆さんは全くそうではないのですから。

好きでもない相手に、皆さんは笑顔を振りまき、とても優しく対応します。

知ってのとおり、それはものすごい重荷です。

皆さんはすごく嫌いな相手に対して「あなたのことをこんなに愛しています」と言い続けています。

皆さんは心地よいですか?

皆さんは本当のところどちらなのでしょうか?

 

皆さんのバックグラウンドが嫌悪感であれば、それはとても難しくなります。

他方、もし皆さんが弱いものいじめで、「お前が憎い」と言って、相手に喧嘩を売るような人たちなら、その人は恐らくよりふさわしい悟りの候補者だと私は思います。

なぜなら、その人は真実を話しているからです。

 

ですから、自分自身に真実でいて下さい。

すると不思議なことに自分が良い人間になっていくのに気づくでしょう。

ここで「良い」という言葉の意味はなんでも構いません。

そこに葛藤はありません。

ある種の愛が自然に育ちます。

たくさんの素晴らしいことが始まっていきます。

                                 (「こころの扉を開く旅」より転記)